いま、東海道新幹線に乗るたび、あの音が鳴る。ぱらららららら〜ん…という、どこかで聞いたような旋律。音楽をかじった人なら「うわっ、懐かし…」と条件反射で反応するであろうこのメロディ。そう、それがテクラ・バダジェフスカ作曲『乙女の祈り(A Maiden’s Prayer)』である。
……って、え、これ、今ここで聞くやつだったっけ?
新幹線という、せわしないビジネスと家族旅行と駅弁とが交差する空間において、乙女が一体なにを「祈って」いるというのか。
ここではそんな不思議な取り合わせについて、さまざまな角度から考察してみたいと思う。
■ ポーランドの乙女、名もなき作曲家の一発屋伝説
さて、『乙女の祈り(A Maiden’s Prayer)』は、1856年にポーランドの女性作曲家テクラ・バダジェフスカ=バラノフスカによって発表された。彼女は、当時ウィーンやパリで人気だった“サロン音楽”──つまり、お金持ちのお嬢様たちが応接間で弾くような、おしゃれでちょっと感傷的な音楽──を得意とした作曲家だった。
彼女の名は、まさにこの1曲によって知られるようになる。いや、この1曲しか知られていないと言っていい。それもそのはずで、この『乙女の祈り』、あまりにロマンチック、あまりに甘美、あまりに「わかりやすい」旋律ゆえに、音楽評論家たちからは「通俗音楽の極み」として長年にわたり槍玉にあげられてきた。
フランスの評論家には「この曲を聞いて感動する人は、深刻な音楽的貧困にある」とまで言われ(言い過ぎでは)、20世紀に入ると一部の音楽講師たちはこれを教材に使うことすら拒否したらしい。かわいそうに。
だが皮肉なことに、そうした冷たい評価とは裏腹に、この曲は19世紀末から20世紀にかけて、ヨーロッパからアジアに至るまで大ヒット。特に日本では、明治期以降のピアノ教育の普及とともに“乙女たちの手習い曲”として定番化し、昭和の音楽教室で最も弾かれたクラシック小品のひとつになってしまった。先生も母親も「とりあえず弾いとけ」的な一曲。
こうしてバダジェフスカは、「音楽史の評価は微妙だけど、ピアノ教室の記憶には残る」作曲家として、ある意味では不滅となった。
■ そして新幹線へ:音楽史を超える乗り換え
とはいえ、2000年代に入ってくると、ピアノの発表会でも『乙女の祈り』はすっかり下火になっていった。あまりに古風、あまりに“乙女すぎる”。「平成の子どもたちにはちょっと…」ということで、先生たちもだんだん別の曲を勧めるようになった。
しかし、このまま忘れ去られるかと思いきや、まさかの東海道新幹線での再登場である。
一説には、車内のチャイムに「耳なじみがよく、情緒があって、かつ著作権的にタダで使える曲」を探していた結果、浮上したのがこの『乙女の祈り』だったという。時速285kmの世界で祈る乙女。もはや何に祈ってるのかわからないが、静かに、あの甘いメロディが今日も名古屋あたりで流れている。
そして気づけば、新幹線でしか耳にしない曲になった。これはもう、新幹線の専属BGMとしての人生を歩み始めたということなのだろう。
■ で、祈り? 願い? 結局どっちなんだ問題
さて、ここで誰もが一度はつまずくであろう問題がある。
「乙女の願い」? それとも「乙女の祈り」?
これは圧倒的に『乙女の祈り(A Maiden’s Prayer)』が正解である。
だがネットや会話では「願い」と言い間違える人が多い。筆者も新幹線のチャイムで聞くたび、「願いだったっけ…? いや、祈りか…」と2秒くらい真顔になる。
その原因のひとつは、まぎらわしい別作品の存在である。実は「乙女の願い」は、ショパンの歌曲《願い(Życzenie)》の邦題として、かつて訳されていたことがある。ショパンのほうはピアノ独奏ではなく声楽曲で、「恋する女性の感情」を明るく歌ったもの。バダジェフスカとは全く別物。
しかもショパンの歌曲にしてはかなり朗らかで、やや通俗的。そのせいか「ショパンにしては軽い」「願ってるだけで泣いてない」などと言われ、こちらもあまり日の目を見ない。乙女界、なにかと冷遇されがちである。
■ 結論:「乙女の祈り」は、もう“クラシック”じゃない
結局のところ、『乙女の祈り』はクラシックの世界から追い出され、ピアノ教室からも見放され、鉄道の世界で第二の人生を歩んでいるという、かなり特殊な経歴を持った曲なのである。
これを「通俗」と切り捨てるのは簡単だ。だが、何十年も人々に弾かれ、そして今なお新幹線で流れ続けているという事実を前に、我々はこう思わざるを得ない。
……まあ、生き延びたもん勝ちだな。
そして今日も、出張帰りの私の耳に、あのチャイムが流れる。
「ぱらららららら〜ん…♪」
それはもう『乙女の祈り』ではなく、「東海道新幹線のあれ」として、完全に定着しつつある。
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