「この曲が弾けたら、ピアノが弾けるってことですか?」
そんな質問が、音楽教室のカウンターで、日常的に交わされている。
リストの《ラ・カンパネラ》。それは今や、「ピアノが弾ける人」と「弾けない人」を隔てる、ひとつの象徴的通過儀礼になっているのかもしれません。
■ 1. パガニーニからリストへ──鐘の旋律の変貌
《ラ・カンパネラ(La Campanella)》とは、イタリア語で“小さな鐘”。
原曲はヴァイオリンの魔術師パガニーニによる協奏曲第2番ロ短調の第3楽章。軽やかな主旋律と、鐘を模した高音の繰り返しが特徴でした。
このモチーフを、リストがピアノ独奏用に大胆に再構築したのが、我々が知る「ラ・カンパネラ」。
ただの編曲ではありません。
それは「鐘の音を模す」という域を超えた、鐘に飛び込むような音楽的アクロバットの世界です。
■ 2. 冒頭から跳躍地獄──「これはシューティングゲームではありません」
《ラ・カンパネラ》が「難しい」とされる理由は明快です。
右手の過激な跳躍と、左手との独立性。
それはもはや譜面ではなく、跳躍命中率98%以上を要求する射撃演習。
冒頭の有名な“カンカンカン”のあとの跳躍。
あれは指先だけで軽やかに届くものではありません。
手首と肘のバネ、重心移動、冷静な跳躍軌道。
一音ごとに“ジャンプして着地してまたジャンプ”を繰り返す。
しかも高速で。
「音ゲーみたいですね」と言われがちですが、違います。
これはシューティングゲームではありません。
失敗は即、音の崩壊。
それが《ラ・カンパネラ》です。
■ 3. フジコ・ヘミングと“心を打つ不安定”
この曲を日本で国民的に知らしめたのは、ピアニストフジコ・ヘミングの存在でしょう。
彼女の《ラ・カンパネラ》は、いわゆる“完璧な演奏”ではないかもしれない。
でも、それが良い。
不安定で、揺れていて、それでも鐘の音、なにより聞いた人の魂に訴える。
1999年、NHKでの演奏以降、日本中がこの曲に熱狂しました。
“クラシックに興味のない大人たち”をも巻き込み、今では《ラ・カンパネラ》は
「弾けたらかっこいい曲」から「弾けたら人生が変わる曲」へと認識が進化しています。
■ 4. ノリ漁師・徳永さん──独学での挑戦
さて、もっとも異色な《ラ・カンパネラ》奏者のひとりをご紹介しましょう。
ノリ漁師・徳永さん。
本業は漁師。ピアノ歴ゼロ。
趣味はかつて、パチンコ。
ところがある日、フジコ・ヘミングの《ラ・カンパネラ》をテレビで見て「自分も弾きたい」と一念発起。
レッスンに通うこともなく、完全独学で挑みました。
テレビのインタビューでこう語っています:
「パチンコ台に8時間座って鍛えた下半身が、ピアノにも活きてると思う」
彼は、根性と骨盤力(こつばんりょく)でラ・カンパネラを制覇した男。
この事実だけでも、《ラ・カンパネラ》がどれだけ多くの人の夢と結びついているかが、よく分かります。
■ 5. YouTuber-kanakanaさん──アンパンマンピアノで鐘を鳴らす
YouTube上でも、この曲はネタにされ、研究され、演奏され続けています。
なかでも話題になったのが、YouTuber・kanakanaさんによる“アンパンマンピアノでラ・カンパネラ”。
このおもちゃの鍵盤を使って、この有名な難曲を完走!
鍵盤幅も反応速度も限られるなか、音楽的に成立させてしまう離れ業は、まさに“鐘のエッセンス”だけを抽出したミニマル芸術です。
楽器の限界と創造性が、軽やかに交差した名演奏といえるでしょう。
■ 6. ステータス化するラ・カンパネラ──「これが弾ければピアノは弾ける?」
現在、《ラ・カンパネラ》には一種のステータス性がまとわりついています。
- 弾けたら“上級者認定”
- SNSでバズる保証付き
- ピアノ講師としての信用にも繋がる(かもしれない)
その結果、ピアノを始めたばかりの人が「ラ・カンパネラを弾きたい」と言うケースが急増。
この曲は、“夢”であり、“称号”であり、“ゴール”にもなっているのです。
もちろん、それは間違いではない。
ただし、「これが弾ければピアノが弾ける」とは限りません。
《ラ・カンパネラ》は、「鳴らすこと」と「語ること」が両立して初めて“演奏”になる。
鐘を打つだけでは、鐘は鳴らないのです。
■ 7. 練習法──「跳ぶ前に、支える」
この曲を攻略するための基本的なステップをまとめましょう:
- 右手跳躍の着地練習 → 指の位置、鍵盤の把握。メトロノームは遅めに。
- 左手伴奏の安定 → 重心を下に持ち、跳躍の土台となるリズムの支えに。
- 跳ぶのではなく“移る”感覚で → 跳ぶ意識より、空間を滑るイメージを。
- “鐘のように響く”音作り → フレージングとペダリングに丁寧な意識を持つ。
■ 8. 鐘は、誰の前にも鳴る
《ラ・カンパネラ》は、技巧の証明でもなければ、資格試験のようなものでもありません。
けれどこの曲は、挑む者のすべてを照らし、ある者の心には確かに鐘を鳴らします。
フジコ・ヘミングが鳴らした鐘。
ノリ漁師・徳永さんの屈曲な鐘。
kanakanaさんのアンパンマンピアノが叩いた鐘。
あなたの手にも、その鐘はあります。
跳べ。揺らせ。鳴らせ。
ラ・カンパネラは、ピアノの中心であり続けるでしょう。
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